下風呂温泉郷と
幻の大間鉄道



今は廃線となってしまった「下北交通大畑線」
そのずっと以前は旧国鉄大畑線である。
だが、歴史のページを紐解いてみると
そこには幾多の出来事が秘められている。
旧国鉄大畑線の元になったのは昭和4年5月27日に認可された
斗南鉄道株式会社による鉄道敷設による。(田名部〜大畑間)

それに、さかのぼる事2年位前に大間鉄道陳情委員が
鉄道省、内務省、陸軍省に鉄道建設の陳情を行っている。
そして、昭和3年8月に株式で大間鉄道の出願。
同年、12月28日に大間鉄道下北郡大畑村(当時)〜同大奥村間施設工事に免許。
(ただし、施行はされなかった。)

これが今、「幻の大間鉄道」と称される鉄道計画であった。

大間鉄道に関する資料、文献の類は少ない。
さらに、工事半ばにして未完に終わった事も
大間鉄道をさらに「幻」の物にしている感がある。

大畑町から工事の進んでいた風間浦村桑畑地区辺りにかけて
現在も幻に終わった大間鉄道の遺構が点在する。
その中からいくつか紹介しながら、
大間鉄道の歴史について考えてみたい。






「おでかけ見聞録」で紹介している「下風呂温泉郷」
ここには大間鉄道の貴重な遺構がいくつか残されている。
「下風呂温泉郷」の海岸沿いの通り(国道279号線)を超え、
下風呂漁港の辺りを散策すると目に入るのがこの風景。

民家のすぐ裏にそそり立つ13連のアーチ。
トンネルを除けば、おそらく大間鉄道最長の遺構。






「下風呂温泉郷」のページでも紹介したが、歓迎ゲート
ゲートの先が立体交差になっているが、
実はこれも大間鉄道の遺構。
本来なら、この上を鉄道が走る予定だった。






裏側から見るとこんな感じ。






線路が敷かれるべき橋も、今はすっかり生活道路となっている。






橋のすぐそばにある「下風呂公民館」
この公民館は、大間鉄道の下風呂駅となるはずの所に建っていると言う話。






公民館のすぐ脇にあるのがこれ。






駅のホームへの上り下りに使われるはずの階段。






ほとんど原形をとどめたまま、
今では住民の日常生活に使われている。






民家の裏庭的場所にある階段の出入り口。






温泉街の通りからは見えないので、
一般の観光客はほとんど通らない。
このお店の裏手に、大間鉄道の遺構があるなんて
気が付かないでしょ?






公民館へ戻って、線路が通るはずだった所。
やはり、生活道路になっている。
ただし、オリジナルの高架路盤より1メートルくらい土盛がしてある。






さらに進むと、橋梁部分。






駅をはさんで、両側に橋梁があった。






橋梁を越えて続く路盤。
普通の道と変わらない。






しかし、身体を道の脇に乗り出してみると・・・。
ここがまさしく大間鉄道の路盤であることを示す連続アーチが。
建設から60年近く経っているにもかかわらず
当時の姿を留めている。




 ☆★★そのほかの場所で見られる大間鉄道の遺構★★☆


大間町史によると、大間鉄道の建設が本格化したのは昭和15年(1940年)
東京方面より出稼ぎ者約160人が来る・・・とある。

しかし、太平洋戦争が始まり戦局が悪化する中、
大間鉄道は軍需鉄道の性格を強くして行く。
大間と津軽海峡をはさんで戸井に砲台を築き、
往来する敵艦を攻撃する。
そのための弾薬や物資の運搬に大間鉄道が必要になった。

そのため、工事は突貫工事で行われる事になったが、
労働力となる若者は軍隊に徴用されていたため思うように集まらなかった。
そのため、多数の朝鮮人を半ば強制的に連行し工事に当たらせていたようだ。




大畑町をあとに、国道279号線の難所「木野部峠」
その登り口に見られる橋台。


工事は過酷を極め、食料も充分摂らせることなく重労働を強いていた。
機械力はトロッコくらいで、殆どは人力に頼っていた。
衣服はボロになり、夏は裸同然の姿で作業にあたり
セメント袋を足に縄で巻きつけ靴の代わりにするといった有様だったらしい






小さい流れの対岸には壊された橋台の一部が見られる。
建設資材の鉄が不足していたと言う話だが、
鉄筋が使われているのが分かる。






橋台の先には高架の路盤が続いていて、
大間鉄道最大の難工事と言われた「木野部(きのっぷ)トンネル」がその先にある。






「木野部峠」を越えた所に建っている記念碑。
実際の場所はこことは違い、
現在は土砂崩れのため近づくのは難しいらしい。






「木野部峠」峠を下り終わった所で大畑方面を見た写真。
大間鉄道の路盤は「木野部トンネル」を抜け、
道路の白線が消えているあたりから国道を横切っている。






道路より一段高くなっている所が路盤の跡。






路盤を大畑方面へ辿って行くと波打ち際に何かがある。






私有地のようなので先へは進めなかったが、
大間鉄道の遺構と思われる。
この先へ行けば「木野部トンネル」の場所も
分かるかも知れないだけに残念。






国道を横切った路盤は、ここにつながる。






現在は墓地のすぐ脇になっている。
こんなに低いアーチは珍しい。






忘れ去られたように、一つポツンとあるアーチ。






小さい流れの奥を見ると、
隠れるように大間鉄道の遺構が息を潜めている。






下風呂のアーチに匹敵するくらい規模の大きい遺構。






アーチの構造がよく分かる。
真ん中部分にあるのは、列車が来た時に保線員が退避する施設。






一部分、浸水による傷みが見られる。






資材が不足し、木筋や竹筋が使われたらしいが、
それらの形跡は見られないようだ。






そして、下風呂の連続アーチ。






桑畑地区辺りで見られる路盤跡。
建物が建っている所が路盤になっている。






路盤が切れた所にある橋台。






その先にある橋梁。
物置の屋根代わりに使われているようだ。






橋を架け終わる前に、工事が終わってしまったのだろうか。






その先に見られる三連橋。
路盤のほうは木々で覆われ、あるのか無いのか不明。






今にも列車が通りそうなくらいしっかりした遺構。






偶然見つけた小さい沢を渡る橋梁。






端の幅はトラック一台分くらい。
このしばらく先には「焼山トンネル」の跡があるらしい。






大間へ向いながら大間鉄道の遺構を見てきたが、
すぐに分かる物では、おそらくこれが最後の物。






敗戦とともに工事がストップし、
そのまま幻となってしまった大間鉄道。
もし完成していたなら、
下北発展の原動力にもなったであろうだけに
残念な気がする。
今はただ、悲惨な歴史の証人として
静かにその姿を残している。



下風呂温泉郷にある連続アーチの遺構は
下風呂メモリアルロードとして改修され
新しい観光スポットとして生まれ変わりました。

どのように変わったかは
おでかけ見聞録「下風呂メモリアルロード」で。



このページの親サイトは「下北見聞録」です。



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